話半分

昔から、人の話は半分程度にしか聞いてない。話半分で聞いた事を基にした自分の話も話半分で聞いて欲しいものだが、自分の思惑など他人には関係ない。
それはさておき、ニュースは、8割程度の信頼性をもって聞いていたように思う。で、昼、近所のトンカツ屋でテレビを見ながらヒレカツ定食を食べていると、例の中国餃子の話。兵庫での件は、パッケージに穴が開けられていたという報道を聞きつつ、ほんまに開いてたんか? 話作ってんのちゃうか?(無意識なので、目的までは考えないが)とか思いながら見る自分に気が付く。(そっちが疑わしいなら、そもそも農薬が残っていたという話も疑わしいという話にもなるが…。)ニュースに関しては、多分に捏造情報が入ってると思って聞くようになってしまっているようだ。まぁ、それが嘘かもしれないと思ったところで、そういう話を聞いたのは事実なので、他人と話をするときは、自分も「袋に穴開けられてたんやって」というような話をする可能性もあるだろう。
だから何? 結局はどうでもいいことではある。
しかし、なんだ、中途半端な毒は困るなぁ。どうせなら短期間に死に至る程度の毒じゃないと安心して食べられませんよ?