四間道(しけみち)

2009-06-28 四間道(しけみち)
街園を回る序に四間道の町並みを見て歩いた。

名古屋駅の近く国際センタービルの側を流れる堀川沿いに、古い町並みがあります。
四間道の由来ははるか300年にもさかのぼります。名古屋城の築城は慶長15年(1610年)に始まりますが、それまで尾張の中心は清洲であったため、築城後、武士・町人・寺社などが町ぐるみで移動しました。これが「清洲越し」です。
熱田の湊と名古屋城を結ぶ堀川には、水運を利用して米穀、塩、味噌、酒、薪炭などを城下町へ供給する商家が軒を連ねて繁栄してきました。
堀川は、豊臣恩顧の福島正則を中心に20の大名が普請を命じられ、商家の玄関は,物資の集散を行うため堀川に向かい,土蔵が家の裏手に作られました。
しかし、四間道は1700年(元禄13)の元禄の大火で1649軒の町屋と15の寺社が焼失してしまい、尾張藩4代藩主の徳川吉通は、商家の焼失を避けるために堀川沿いにある商家の裏道幅を4間(約7m)に拡張しました。このことから四間道(しけみち)といわれるようになりました。

現在では、屋根神様や子守地蔵尊など下町情緒が残る貴重な地域として、昭和61年、名古屋市の「町並み保存地区」にも指定され、大切にています。

http://www.port-authority.minato.nagoya.jp/topics/kankoumap/nagoya5.html より。