宗教は賢くて悪い奴、馬鹿な奴が使うと危ないという話。排斥するのに使え、統制するのに使えて非常に便利な優れモノだ。
その宗教の中でも、一神教は許容性のなさから凶器として使ったときに優れていると思われる。
ろくに宗教を信じない日本人にして見れば、他人ごとでもあるし、熱狂的な信者が集まった国に囲まれている日本にしてみれば他人ごとでもない。
どれだけ中身が平和共存に向かう内容の宗教でも、人間ごときには、本来の目的で使いこなせないのは歴史が証明している。
というか宇宙を構成する全ては宇宙の法則どおりにしか動かないから、すべてはあるがまま。
ダヴィンチコードといい、キリスト教徒は振り返りポイントに立っているのだろうか?